花鳥画を描く
「Hope」第5回は、中村祐子(なかむら・ゆうこ)先生。
一般大学で美術史を学んだ後に、東京藝術大学に入学され研鑽を積まれた中村先生。古来、描き続けられてきている花鳥画を、截金(きりかね)の技法を用いた表現で日本画ならではの麗しい絵画空間を創出し続けています。その画面には、今を生きる画家ならではの伝統と革新、不易と流行のはざまに葛藤する姿も垣間見せてくれ、また、だからこそ、そこに画家の、作品の輝きがいや増すばかりなのではないかとも感じるのです。
中村先生は東京都生まれ。幼い頃から絵が好きで描き続けてきたとのこと。
画家になろうという意識が芽生え始めたのは、高校生時分に宮内庁三の丸尚蔵館で観た伊藤若冲の『動植綵絵』や円山応挙の『孔雀牡丹図』、葛飾北斎の肉筆画などの、移ろう四季の美しさや小さき生命を賛美するかのような作品に心動かされてから。
事情があって一般大学(早稲田大学)に進学し、美術史を専攻することに。しかしながら、美大で絵を学ぶという目標がぶれることはありませんでした。
藝大進学の前に
この取材の折に、当時のノートのスケッチを拝見させていただいたのですが、美術史という中身の濃い講義(たぶん90分)の、わずかなヒトコマと思われるスライドを見ながら、手元の暗い状態で描写とは思えないほど、マギの礼拝の絵や神殿、教会などの建造物と、ポイントがしっかり描かれたスケッチは、同じ講義を受けていた学生の中でも違う位相にいたのではないかと推察しました。
若冲や応挙、北斎にしても、対象をその眼で見ていたからこその表現をしていました。実景を見ての感動を描くこともまた絵画表現。中村先生の行動は、日本画家への階梯を上がるために、その時できること全てを遂行なさっていたのだと思います。
截金に魅せられて
そうしてとうとう東京藝術大学に入学。精進が加速されていったことは想像に固くありません。
藝大時代には、現在の中村作品について語るのに欠かせない截金との出合い、截金師の江里佐代子(えり・さよこ)先生(1945-2007年 重要無形文化財保持者[人間国宝])との邂逅がありました。
「過去の作品をみて、感動して自分も描いてみたい」という原初的な美への思いがある中村先生。截金の美しさに魅了されたのでしょう。途絶えかけた截金の再興者ともいえる江里先生の、技術を絶やさないために惜しげなく後世に技法を伝えていきたいという思いをも汲んで、作品に描かれ続けています。
それが端的に表れているのは「宝相華(ほうそうげ)」の作品になるでしょうか。 |